職責を果たさないのであれば専門家ではない

フジイユウジ::ドットネットの『専門家が「力」をセーブせずに全力で専門性を振り回してもリスペクトされる組織をつくりたい』を読んで。

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僕は専門家として振る舞えていただろうか

十数年エンジニアをやってきたけど専門家として振る舞えているだろうかと考えた。
俗に言う「技術的には可能です」とか、「こんなリスクがあるからこうした方が良い」「これはこの観点からやめた方が良い」とか色々言ってきた気がする。経験数年の知識が少ない中でも専門分野については分かる範囲でそう振る舞ってきたつもりだ。
代案がなく「これはNG」というのもやってきた。管理者からは扱いづらいだろうし、これはあまり良くなかったなと反省はしているものの、専門家としては言わないよりはまだ良いのかなと少し救われた。事業を進める人としては足りないけどもね。

専門性に応じた分業は社内受託とは言えない

「社内受託っぽい」というのは、ビジネスサイドからの依頼を受けて開発チームがプロダクト開発をするという開発スタイルのことで

特に僕は自身の責務をしっかり果たそうという意識が強いので、専門性ごとの分業をしっかりするタイプだと思う。「あなたは考える人、僕は技術観点考慮してつくる人」みたいな。
こういった考えなので割と作り方と作ることに注力してきた時期が長い。これも社内受託ということなのかなと思っていたけど、言われたものだけを作るではなく、専門性を発揮して貢献しているのであれば、社内受託とは言わないのかなと考え直した。

職責を果たさないのであれば専門家ではない

「自分の職責を果たそうとする」エンジニアが好きだ。

本当に、僕もそういった職責を果たそうとする人が好きだ。
そもそも職責を果たそうとしない時点で専門家ではないのでないかと思う。専門家として雇われている時点で責務を果たさねばならぬのだ。
専門家として振る舞うことを推奨されない環境で、学習性無力感*1を感じることもあると思う。フジイさんのブログは専門家への発破というより、専門家へのラブレターとそういった組織・環境面での話をしているのかなと思った。

"責務とは行為にある。その結果にあらず。飢えた我が血の最後の一滴まで責務に向かって突き進むのみ。"

フジイユウジ::ドットネットのファンとして関連して好きなブログを引用して締めたい。

どんな環境だろうと、やるって決めたら血の最後の一滴までやるんだよ。

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*1:※学習性無力感とは “努力や行動が望んだ結果に結びつかない経験を繰り返すことで、「何をしても無駄だ」「自分はダメだ」と学習し、困難な状況から抜け出そうとする自発的な行動を放棄してしまう心理状態”